<   2013年 08月 ( 5 )   > この月の画像一覧

感謝!感謝!!感謝!!!

NO.028のM.Nと申します。

石田さんとは直接お会いしたことがない「いち」ユーザーです。たぶん200名のSD05ファンの大半は私の様に直接お会いした事のない方々では?と思います。

私とSD05との出会いは、このFan Clubのページを見つけて興味を持った所から始まりました。

その頃のラインアップは3wayのマルチでアンプだけもA社メインに4台+チャンデバという大がかり?なものでしたが何か解らないが満足がいかないな~という状況でした。

そんな私にFan Clubでの「Simple is Beautiful」という皆様の書き込みと、石田さんの解説は「もしかしたら」と心に響く物がありました。

私のNO.28はその後ラッキーな事に中古で手に入れた物で す。(後にバージョンUP)

自然に心に沁みてくる声、ピアノ、バイオリン、・・・そして音楽!!

今はCDP→SD05→SPという極めてシンプルな構成で音楽を楽しんでいます。

石田さんには毎年感謝を込めて年賀状を差し上げていましたが、いつも丁寧にお返事を頂いていました。

一度直接お会いして感謝の気持ちを伝えたかったのに・・・

石田さん、豊かな人生(音楽という大きな部分)を本当にありがとうございます。

感謝!感謝!!感謝!!!
by SD05club | 2013-08-31 11:52 | 私のSD05

伝説のデジタルアンプSD05 石田正臣さんを偲んで

数日前SD05ファンクラブからメールでこのアンプの設計者でもあり制作者でもある石田さんの訃報が届きました。

ログハウスの試聴室をほとんど自分一人で建ててしまうほど元気な方だったので、例のホンダの小型スポーツカーでさっそうと走り回っていると思っていたのでほんとに驚きました。

最後にお会いしたのは去年のGWの例会の時でした。

それから1年以上経っているのですが相変わらず元気で活躍しているものとばかり思っていました。
こうやって縁あって知りあった方たちが、この世から他の世界に舞台を移してしまうのはいつもなぜか突然です。そして驚き悲しむのは常に残されたほうなのです。

SONYを定年退職した石田さんがSONYのS-Master Proという部品を使って自分の理想を求めて制作したのがSD05という知る人ぞ知るデジタルアンプです。

デジタルという言葉に過度に反発してしまう?古くからのオーデイオファンが多いのにもかかわらず、このSD05はデジタルアンプという言葉のイメージを覆してしまうような自然で色付けの無い音で、多くのオーデイオファンを唸らせ、感心させ、また改心させたのでした。

残念ながらSONYからの部品供給が途絶え制作を止めてしまいましたので、実質的に世の中に出回っているこのアンプの数はたった200台で、200人の人が幸せなオーデイオ生活を送っているはずです。中には一人で数台所有しているというよくばりな人?もいるので、実際にはその幸せな人の数はもっと少ないことでしょう。

今までブログにオーデイオの事を少しだけ書いてきましたが、僕がもっともすごいアンプだと思い、またファンクラブの番外会員?として深くお付き合いしてきたSD05についてはあえて何も書きませんでした。

それはすでに05についてはあの有名な「GRFの部屋さん」を筆頭にオーデイオ大先輩の方がたがすでに充分に書かれていたので、いまさら僕が書き足すことなど何もなかったこと、そして一番の理由は不思議ですがなによりも僕自身がSD05を持っていないからです!

しかし番外の会員として恒例だったゴールデンウイークに那須の石田さんの別荘(試聴室)で行われたバーベキュー大会(ほんとうは試聴会?)には一度も欠席することなく参加し、石田さんにも大変お世話になったので、石田さんの訃報を聞き僕なりに何か思い出を残しておきたいと思いました。

ちなみに石田さんの手によってトランスポーターに改良されたSONYのCDプレヤーXA50ESは持っているのです。なので石田さんが手がけた物とまったく無縁という訳ではありませんが、SD05が無いのはまさに画竜点晴を欠くといえるでしょう。

どうしてここまで関わっていながら、しかも05を凄いアンプだと知りながらそれを手に入れていないのか?それには運命の不思議と言うべき巡り合わせがあったのです。(それほどでもないですけど!)

このアンプが登場して間もないころ、制作者の石田さんの那須にあるショールム兼別荘を訪ねたのがこのアンプそして石田さんとの初めての出会いでした。

その時一緒に行った3人のうちの一人「GRFの部屋」さんがこのアンプにほれ込みファンクラブを立ち上げることになるとは、本人もそうでしょうがだれも予想もしていませんでした。

しかし残念ながら僕にとってはショールームを訪ねた時期がちょうど諸事情で会社を辞める時と重なり、その後の進路も決まらないというちょうど大変な時期だったのです。

そんな事情で金銭面でもたいそう不安だったので、50万円というオーデイオ世界の単位では比較的安い金額(ましてその性能から見ればお得!)でも、普通の一般人がアンプを買う金額としてはたいそう高額と思われるSD05をポーンと購入するわけにはいかなかったのです。これが僕と05の出会いのすれ違いの始まりでした。

僕がこのアンプの音を聞いてほんとに自然ですごいと感じたのはこのショールームではなく(実をいえばここでは良く解りませんでした)GRFさんのお宅で古いタンノイのGRFを鳴らしたのを聞いた時です。

それは今まで置いてあったデイナオーデイオの最高級スピーカーを米国製の大きく重いパワーアンプで鳴らしていた音に較べ、はっとするほど自然で好ましい音に聴こえたのですっかり驚きました。(「GRFのある部屋」というブログもこの驚きから始まったはずです。)

それ以来すっかりSD05のファンとなりファンクラブの一員としてファンクラブが開催したほとんどすべてのSD05関係のイベントに参加するという重度の05ファンの一人となってしまったのです。

ファンクラブのイベント、お茶の水や杉並の会場やI画廊、そして様々なオーナーの部屋などで聞いた05の音はどれも素晴らしいものでした。中でも印象的だったのはタンノイのIIILZというこれまた古い小型のスピーカーをこの05が鳴らした音でした。

その証拠にこのときの音が素晴らしいと思ったのは僕だけではなかったようで、このイベントの後すぐにIIILZを購入してしまった05オーナーもいたほどです。

かく言う僕も(当時LOWTHERを使っていました)お茶の水で聞いた音に感動し、偶然にも人から預かって2階の部屋でほころりかぶっていたタンノイIIILZをいそいそと引っ張り出してきたのでした。

このIIILZを預かったころには古いJAZZを聞いていたのですが、このころはすっかりクラシック一辺倒になっていたと言うこともあるのでしょうが、驚くことに(当たり前なのかも知れません)IIILZはLOWTHERよりはるかに深い低音とより滑らかな弦の音を聞かせてくれたのです。

それ以来あれほど好きだったLOWTHERとの蜜月生活はきっぱりと終わりを告げてしまいました。困ったことに事にこういう短絡的で移り気な性格はなかなか治りません。

しかし我が家の真空管アンプで鳴らすIIILZはお茶の水で聞いた音や、GRFさんの部屋で聞くGRFの音とは明らかに違います。特にオーケストラではSD05で鳴らすような滑らかさや透明感、特に風のように軽やかな低音がまったく出ないのです。それは随分とスピード感もなく濁った音に聴こえたのです。

そこで何とかお金を工面して05を購入しようと購入しようと決心したその時、たまたま05を貸してくれるという親切な方がいたのです。我が家でも試聴会のような素晴らしい音が鳴るかどうか興味しんしんだった僕は、もちろん気楽にこのチャンスに乗ったのでした。しかし我が家で聞いたこの05は、今まで様々な場所でそれこそ何十回と聞いた05のような音では鳴ってくれなかったのです。

確かにそれぞれの楽器はたいそうクリアーに聴こえ、全体としてはまあまあ良いのですが、今まで聞いてきた05の音とは違います。あのお茶の水で聞いたIIILZの音は何だったのでしょう!
そしてどうしても気に入らなかったのがバイオリンの音色でした。

その頃良く聞いていたリヒャルトシュトラウスの「最後の4つの歌」の3曲目「眠りにつくとき」の中のバイオリンソロの部分をいったい何度聞き直したことでしょう。

数種類あるこの演奏のどれを聞いても、この間奏のバイオリンがヌメーっと聴こえてしまい何となく気持ちの悪さが残ってしまうのです。これには驚きましたし、たいそうがっかりもしました。一体今まで僕が聞いてきた05の音は何だったのだろうと思いました。

約2月近くお借りして、何度も何度も聞いてみましたが、どうしてもその音色に馴染むことが出来ませんでした。

後で考えて見るとそこには二つの大きな原因があったのです。

一つはこの05がオリジナルではなく特別な改良が施してあったこと、いくつかの部品交換と天板がカーボン製となっていました。

そしてもう一つは(こちらのほうが影響が大きかったはずです)トランスポーターの問題です。
この05をお借りした時僕が使っていたのはFさんが大改造したCDプレヤーだったのですが、古いものでデジタル出力が無かったので、気楽に手持ちの古いケンウッドの中級プレヤーからデジタル出力を取ったのです。

この時の僕の認識ではたかがデジタル信号を送るだけのことなので、どんなCDプレヤーを使ってもそれほど大きな違いは無いはずと思っていたのです。

その後さまざまな経験をへて少しだけ賢くなった現在では、これがとんでもなく間違っていた事が解ります。(後悔はいつも後でやってくるのです)

この二つの理由で本来の05の音とは違う音が出ていたのです。

にもかかわらず何事も深く考える習慣の無い僕は我が家では05はうまく鳴らないと簡単に結論付けてしまったのです。これが05との出会いの第二の不幸だったと言えるでしょう。

こうやって僕と05の出会いは結ばれない恋人たちのようにすれ違いに終わってしまったのですが、05を通じて知り合った方は数多く出来ました。05は僕だけには素敵な音をプレゼントしてはくれませんでしたが、それ以上に沢山の素敵な出来ごとをプレゼントしてくれたのでした。

普通のサラリーマンはその名前が世の中に知られる事はありません。現役で仕事をしている時でさえ自分の名前は会社の名前と肩書の下にちじこまっているのがせいぜいです。さまざまなオーデイオ機械を設計した石田さんでさえその名前が世に広く知られることはありませんでした。

それが会社を定年退職した後、自分で設計した作品でその名前を世の中に広く知らしめるようになったのですから、ほんとうに幸せな人生を送られた言ってよいでしょう。あまつさえそのアンプは良い音だけでなく、僕を初め沢山の人たちに楽しい出来ごとや繋がりをプレゼントしてくれたのです。05を持っていない番外者の僕ですが石田さんには感謝するばかりです。

すべからず定年を迎えた後にもこのような素敵な人生を送りたいものですが、特に才能があるわけでもない一般人である我々には望むべきもありません。

少しだけ早かったかも知れませんが、これだけ沢山の素晴らしい出来ごとや思い出を残してくれたのですから、石田さんは今でもどこかでにこにこと満足していることでしょう。そして石田さんが作った200台のアンプもいつまでもずっと素晴らしい音楽を奏で続けることだと思います。

心から石田さんのご冥福をお祈りいたします。

SEIBO
by SD05club | 2013-08-30 14:52 | 私のSD05

石田さんの思い出

049/大山です。

石田さんと初めてお会いしたのは、確か2006年の春頃だと記憶しております。
Kさん宅でお会いし、挨拶代わりに私の作ったスピーカーを聴いて頂きました。

石田さんはスピーカーを聴いた感想を物静かな語り口で話されましたが、口調とは裏腹に、かなり厳しい内容の指摘を受けました。(いわゆるボロクソって奴です。)

今から考えると石田さんは物事の本質を、ただズバッと指摘された訳ですが、初対面の私としてはかなりムッとしたのも事実でした。不穏な空気を感じ取ってくれたのか、すかさずKさんのフォローが入りその場は何とか収まりました。

私としては最悪な出会いだった訳ですが、「THE技術者」という印象は強烈に残りました。
「SONYにこんな人居たんだ」と驚いたのを覚えています。

その後、Kさんを交え石田さんのバックグラウンドの話を聞いて行くと、業界の大先輩で有る事が判明していきます。オーディオの話から雑学の領域まで、マニアックな話題がどんどん出て来て話が尽きません。会って数時間後には意気投合し、スピーカーの在り方について意見を交換していました。

石田さんが言われた言葉で印象に残っているのは「アクセル踏む前にブレーキ離す方が先だろ?」という事でした。その意見に私も大賛成という事で、その線でスピーカーを作りましょうという事になりました。

2006年頃のオーディオ業界ではアンプの出力が、やれ300Wだ500Wだと大出力を誇示していました。アンプの大出力化に伴いスピーカーの能率やインピーダンスが極端に低い製品が多く、アンプの躯体もどんどん巨大化していました。

石田さん曰く、「やれ1KWだとかアクセル踏むのも勝手だけど、ブレーキ離したら100Wでお釣り来るでしょ」と言って笑っています。

私も石田さんに聞きます。「ブレーキの正体は何ですか?」と。

「それは熱損失とNFBです。」とキッパリ。

「SD05にはNFBとかクロストークの概念が有りません。電気自動車にエンジンが無いのと一緒です。SD05がどう動作しているのかを考えた時、スピーカーの設計も自ずと変わるでしょ?」とおっしゃいました。

私にとっては禅問答みたいな物です。そこから石田さんには私の質問攻めに根気良く付き合って頂き、SD05の動作も詳しく教えて頂きました。

色々聞いた後に最終的に私からした質問がこれです。
「結局、SD05にすると何が変わるんですか?」と。

今までの石田さんの解説を無視した質問ですが、私はあえて聞きました。

石田さんは自信たっぷりにこう言われました。「SD05はCDに入っている情報を正確に淡々とスピーカー端子まで届けています。そこから先はスピーカー屋さんの仕事ですよ。」と。

またまた禅問答に逆戻りです。

やはりこのおじさん、一筋縄では行かないようです。
質問を変えてみました。

「SD05に替えて一番判り易い変化って何ですか?」と。

すると石田さんは「音場の再現性と音の浸透力です」と言うではありませんか。

ここでようやく「音場」というキーワードが出てきました。

私は「部屋に録音時の音場が出現して、広帯域な音がストレスなく鳴ったら最高ですね」と石田さんに聞いてみると

「だから、スピーカー端子までその情報が行ってるから心配しないで」と真顔で言ってきます。

「このおじさん、難しい事サラっと言うけど本気か?」という心の声と同時に自信満々の石田さんを見ていると、「でも、何かやれそうかも・・・」と思う自分も居ました。

そんな話をした数日後、石田さんから横浜のAVフェスタに出展されるとのお話を聞きました。同時に「この前言ってたスピーカー、AVフェスタに間に合いますか?」とも・・。

「このおじさん本気だったんだ!やる気満々じゃねーか。よーしそう来るなら受けて立ってやるぜ!」と私も気合が入ります。

石田さんからはスピーカーのサイズやスペック的な事は一切言われていません。でも頭の片隅には「スピーカー端子までは・・・」のフレーズが引っ掛かっています。

ここで私は決断します。「そのスピーカー端子に来ている情報とやらを全部受け止めてみせます!」と。

私からの答えは全てT2に込め、製作しました。

スピーカー側で音場を阻害している原因は従来のエンクロージャー形式に有ると考え、削り出し2ピース構造を開発しました。

インピーダンスカーブの暴れも、複雑で重いネットワーク回路も「ブレーキ」の一部と知り、DCRの低いコイルの作成からコンデンサーまであらゆる視点から設計を見直していきました。

特徴的な削り出しのバッフルはホワイトシカモアの突き板で仕上げ、木の存在感もバッチリ演出しました。

そして再びKさん宅にて石田さんにT2をお披露目しました。

石田さんに最初に聴かせたスピーカーは、内容積8Lの小さな2WAYスピーカーでしたが、

数ヶ月後、目の前に有るのは3WAY5スピーカーの大型フロアースピーカーのT2です。

これには石田さんもビックリしたようです。

正直、「こいつ狂ってる・・。」と思われたのかもしれません。

しかし私も真剣です。あれだけ自信たっぷりにSD05の世界を語られたままでは収まりが付きません。

やられたらやり返す、「10倍返しだ!」の心境です。

そして迎えたAVフェスタ2006 。サウンドデザインブースにはSD05とMS1とT2のみという非常にシンプルなブース構成です。

掛けるCDもサンサーンスのオルガンとオペラ アイーダからの一幕という構成。

従来からのオーディオショーでは考えられない選曲です。

機器を並べたてるのがショーの本質では有りません。石田さんとは「まずは音楽を聴かせましょう」という事でスタートです。

音場情報がたっぷりと入ったアイーダでは、遠くに消え入るような声が見事に再現されています。オーディオショーで消え入るような音を聴かせるとは、さすが石田さんです。他社とは全く別のアプローチ。次元が違うとはこういう事かと思い知らされます。お客さんはどんどんSD05の世界に引き込まれていきます。

そしてサンサーンスのオルガンをゆったりと浸透力のある音で静かに静かに鳴らしていきます。

T2はオルガンの最低部を見事に再生し、同時に石田さんが言った「スピーカー端子までは・・・」の言葉も嘘ではなかった事が証明されました。

私のSD05への挑戦も返り討には逢わなかったようで、ホッとしています。

実際に会場に来られ、音を聴いて頂いた方々がファンクラブに投稿してくれています。バックナンバーから読み返してみると、当時の記憶が昨日のように蘇ってきます。

こうして始まったAVフェスタ2006を皮切りに、数年間に渡って怒涛のイベントラッシュが始まります。

コロラド州デンバーでのロッキーマウンテンオーディオショーや那須での例会、弦楽亭、杉並公会堂はじめお茶の水クリスチャンホールでのレコード演奏会等々。そうそう、淡路島にも行きましたね。

そんな中、スピーカーもT2からT3へ、そしてT4へと機種が増えていきました。大きさは変われど、設計の根本にあるのはSD05の目指す所に変わりは有りません。

葬儀の帰りにTさんと一緒にKさん宅にお邪魔いたしました。広いリスニングルームの床にちょこんと小さなT4が置かれています。HD-1からの信号を受け、SD05がT4を淡々と駆動しています。

空間にポッと楽器が浮かび上がり、音楽が流れていきます。時には大きなステージが出現し、遠くへ遠くへ展開します。オーケストラのエネルギーが部屋いっぱいに放出されています。

出会った時に石田さんと話した理想の音が、同じ場所で現実となって鳴り響いています。

石田さんは「ファンクラブの開設にあたって」でこう書かれています。

極小ではありますが自分のブランドを立ち上げた現在は、これまでになかった貴重な経験をさせていただいております。その一つとして、オーディオ機器の使い手の声が聴こえてきたことが挙げられます。そしてSD05のお客様を通じて、各人各様の使い方楽しみ方があることを知り、感心しきりの最近です。使いこなしに当たって、作り手としては考えてもいなかったようなことに出会うこともしばしばです。開発・設計者としては大変興味深く、大きな刺激を受けています。

「作る側の向こうには、使う側の人が居る」と・・。

幸いファンクラブには使い手の達人たちが数多くいらっしゃいます。そして皆さん秘密主義ではないようです。使いこなしのノウハウを公開してくれています。

ファンクラブの活動はこれからが本当の真価が問われると思います。イベントを開催するにしても皆さんのご協力が必要です。石田さんが残してくれたSD05の繋がりをもっともっと深めていけたら最高ですね。

049/大山
by SD05club | 2013-08-28 22:58 | 私のSD05

ご会葬御礼

夫 石田正臣は、平成二十五年八月二十三日に六十七年の生涯を閉じました。

オーディオ一筋、六十七年の生涯のうち四十九年、オーディオに打ち込んできました。多くの方の助けをいただきながら、自分の信じる「音」の道に、技術で厳しく挑んだ日々であったと思います。

オーディオラックはもとより、リスニングルームである那須高原のログハウスもハンドメイドで建築。どのようなものでも「自分で作る」ことがモットーの人でした。

仕事以外でも多くの趣味を持ち、当時最年少の中学生でアマチュア無線の免許を取得。ギターやピアノの演奏に始まり、ラジコン飛行機や天体望遠鏡の製作、流星観察旅行に家族を連れて行ってくれたりもしました。

ゴルフや登山、スキーなどを楽しみ、家族でテニスをするときは子供が相手でも本気のプレー、たとえ遊びであっても全力で取り組む人でした。

子供たちには常に「自分で調べなさい」「自分で考えなさい」と簡単には答えを与えずに、自分の背中を見せてきたことが思い出されます。

時に頑固、時にわがままでもあり、皆様にも多々ご迷惑をお掛けしたことと思いますが、信念を貫く姿は家族の手本であり、今となっては「生きる」ということの意味を教えてくれたようにも思えます。

今年5月に病気が見つかった後も気丈に治療に取り組み、7月までは一人で車を運転し那須高原のリスニングルームへ通っておりました。

一方で「やりたいことはすべてやってきた。心配事は何もない」と繰り返し言っておりました。

わかれはつらいものですが、前を向いて笑顔で送りたいと家族一同思っています。

皆様のご厚情を賜り、実りある人生を送らせていただいた夫にかわり、深く感謝申し上げます。

平成二十五年八月二十六日

喪主 石田 繁代
by SD05club | 2013-08-27 20:28 | 石田さんから

訃報

サウンド・デザイン・ファン・クラブ 会員各位殿

悲しいお知らせです。

病気療養中のサウンドデザイン社 代表 石田正臣さんが,
23日ご逝去されました。謹んでご通知申し上げます。

通夜・告別式は下記の通り執り行われます。

通夜  8月26日(月)18時より~

告別式 8月27日(火)12時30分~13時40分

出棺  8月27日(火)13時40分  

場所  花見川儀式殿
 
住所  千葉市花見川区畑町431-11

電話  043-273-4444

喪主  石田 繁代(妻)


**************************************************************************

ご供花・ご供物は

博全社 生け花受付センター

電話  043-244-7835
FAX  043-244-7836

****************************************************************************
by SD05club | 2013-08-24 15:35 | Fan Club のお知らせ