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伝説のデジタルアンプSD05 石田正臣さんを偲んで

数日前SD05ファンクラブからメールでこのアンプの設計者でもあり制作者でもある石田さんの訃報が届きました。

ログハウスの試聴室をほとんど自分一人で建ててしまうほど元気な方だったので、例のホンダの小型スポーツカーでさっそうと走り回っていると思っていたのでほんとに驚きました。

最後にお会いしたのは去年のGWの例会の時でした。

それから1年以上経っているのですが相変わらず元気で活躍しているものとばかり思っていました。
こうやって縁あって知りあった方たちが、この世から他の世界に舞台を移してしまうのはいつもなぜか突然です。そして驚き悲しむのは常に残されたほうなのです。

SONYを定年退職した石田さんがSONYのS-Master Proという部品を使って自分の理想を求めて制作したのがSD05という知る人ぞ知るデジタルアンプです。

デジタルという言葉に過度に反発してしまう?古くからのオーデイオファンが多いのにもかかわらず、このSD05はデジタルアンプという言葉のイメージを覆してしまうような自然で色付けの無い音で、多くのオーデイオファンを唸らせ、感心させ、また改心させたのでした。

残念ながらSONYからの部品供給が途絶え制作を止めてしまいましたので、実質的に世の中に出回っているこのアンプの数はたった200台で、200人の人が幸せなオーデイオ生活を送っているはずです。中には一人で数台所有しているというよくばりな人?もいるので、実際にはその幸せな人の数はもっと少ないことでしょう。

今までブログにオーデイオの事を少しだけ書いてきましたが、僕がもっともすごいアンプだと思い、またファンクラブの番外会員?として深くお付き合いしてきたSD05についてはあえて何も書きませんでした。

それはすでに05についてはあの有名な「GRFの部屋さん」を筆頭にオーデイオ大先輩の方がたがすでに充分に書かれていたので、いまさら僕が書き足すことなど何もなかったこと、そして一番の理由は不思議ですがなによりも僕自身がSD05を持っていないからです!

しかし番外の会員として恒例だったゴールデンウイークに那須の石田さんの別荘(試聴室)で行われたバーベキュー大会(ほんとうは試聴会?)には一度も欠席することなく参加し、石田さんにも大変お世話になったので、石田さんの訃報を聞き僕なりに何か思い出を残しておきたいと思いました。

ちなみに石田さんの手によってトランスポーターに改良されたSONYのCDプレヤーXA50ESは持っているのです。なので石田さんが手がけた物とまったく無縁という訳ではありませんが、SD05が無いのはまさに画竜点晴を欠くといえるでしょう。

どうしてここまで関わっていながら、しかも05を凄いアンプだと知りながらそれを手に入れていないのか?それには運命の不思議と言うべき巡り合わせがあったのです。(それほどでもないですけど!)

このアンプが登場して間もないころ、制作者の石田さんの那須にあるショールム兼別荘を訪ねたのがこのアンプそして石田さんとの初めての出会いでした。

その時一緒に行った3人のうちの一人「GRFの部屋」さんがこのアンプにほれ込みファンクラブを立ち上げることになるとは、本人もそうでしょうがだれも予想もしていませんでした。

しかし残念ながら僕にとってはショールームを訪ねた時期がちょうど諸事情で会社を辞める時と重なり、その後の進路も決まらないというちょうど大変な時期だったのです。

そんな事情で金銭面でもたいそう不安だったので、50万円というオーデイオ世界の単位では比較的安い金額(ましてその性能から見ればお得!)でも、普通の一般人がアンプを買う金額としてはたいそう高額と思われるSD05をポーンと購入するわけにはいかなかったのです。これが僕と05の出会いのすれ違いの始まりでした。

僕がこのアンプの音を聞いてほんとに自然ですごいと感じたのはこのショールームではなく(実をいえばここでは良く解りませんでした)GRFさんのお宅で古いタンノイのGRFを鳴らしたのを聞いた時です。

それは今まで置いてあったデイナオーデイオの最高級スピーカーを米国製の大きく重いパワーアンプで鳴らしていた音に較べ、はっとするほど自然で好ましい音に聴こえたのですっかり驚きました。(「GRFのある部屋」というブログもこの驚きから始まったはずです。)

それ以来すっかりSD05のファンとなりファンクラブの一員としてファンクラブが開催したほとんどすべてのSD05関係のイベントに参加するという重度の05ファンの一人となってしまったのです。

ファンクラブのイベント、お茶の水や杉並の会場やI画廊、そして様々なオーナーの部屋などで聞いた05の音はどれも素晴らしいものでした。中でも印象的だったのはタンノイのIIILZというこれまた古い小型のスピーカーをこの05が鳴らした音でした。

その証拠にこのときの音が素晴らしいと思ったのは僕だけではなかったようで、このイベントの後すぐにIIILZを購入してしまった05オーナーもいたほどです。

かく言う僕も(当時LOWTHERを使っていました)お茶の水で聞いた音に感動し、偶然にも人から預かって2階の部屋でほころりかぶっていたタンノイIIILZをいそいそと引っ張り出してきたのでした。

このIIILZを預かったころには古いJAZZを聞いていたのですが、このころはすっかりクラシック一辺倒になっていたと言うこともあるのでしょうが、驚くことに(当たり前なのかも知れません)IIILZはLOWTHERよりはるかに深い低音とより滑らかな弦の音を聞かせてくれたのです。

それ以来あれほど好きだったLOWTHERとの蜜月生活はきっぱりと終わりを告げてしまいました。困ったことに事にこういう短絡的で移り気な性格はなかなか治りません。

しかし我が家の真空管アンプで鳴らすIIILZはお茶の水で聞いた音や、GRFさんの部屋で聞くGRFの音とは明らかに違います。特にオーケストラではSD05で鳴らすような滑らかさや透明感、特に風のように軽やかな低音がまったく出ないのです。それは随分とスピード感もなく濁った音に聴こえたのです。

そこで何とかお金を工面して05を購入しようと購入しようと決心したその時、たまたま05を貸してくれるという親切な方がいたのです。我が家でも試聴会のような素晴らしい音が鳴るかどうか興味しんしんだった僕は、もちろん気楽にこのチャンスに乗ったのでした。しかし我が家で聞いたこの05は、今まで様々な場所でそれこそ何十回と聞いた05のような音では鳴ってくれなかったのです。

確かにそれぞれの楽器はたいそうクリアーに聴こえ、全体としてはまあまあ良いのですが、今まで聞いてきた05の音とは違います。あのお茶の水で聞いたIIILZの音は何だったのでしょう!
そしてどうしても気に入らなかったのがバイオリンの音色でした。

その頃良く聞いていたリヒャルトシュトラウスの「最後の4つの歌」の3曲目「眠りにつくとき」の中のバイオリンソロの部分をいったい何度聞き直したことでしょう。

数種類あるこの演奏のどれを聞いても、この間奏のバイオリンがヌメーっと聴こえてしまい何となく気持ちの悪さが残ってしまうのです。これには驚きましたし、たいそうがっかりもしました。一体今まで僕が聞いてきた05の音は何だったのだろうと思いました。

約2月近くお借りして、何度も何度も聞いてみましたが、どうしてもその音色に馴染むことが出来ませんでした。

後で考えて見るとそこには二つの大きな原因があったのです。

一つはこの05がオリジナルではなく特別な改良が施してあったこと、いくつかの部品交換と天板がカーボン製となっていました。

そしてもう一つは(こちらのほうが影響が大きかったはずです)トランスポーターの問題です。
この05をお借りした時僕が使っていたのはFさんが大改造したCDプレヤーだったのですが、古いものでデジタル出力が無かったので、気楽に手持ちの古いケンウッドの中級プレヤーからデジタル出力を取ったのです。

この時の僕の認識ではたかがデジタル信号を送るだけのことなので、どんなCDプレヤーを使ってもそれほど大きな違いは無いはずと思っていたのです。

その後さまざまな経験をへて少しだけ賢くなった現在では、これがとんでもなく間違っていた事が解ります。(後悔はいつも後でやってくるのです)

この二つの理由で本来の05の音とは違う音が出ていたのです。

にもかかわらず何事も深く考える習慣の無い僕は我が家では05はうまく鳴らないと簡単に結論付けてしまったのです。これが05との出会いの第二の不幸だったと言えるでしょう。

こうやって僕と05の出会いは結ばれない恋人たちのようにすれ違いに終わってしまったのですが、05を通じて知り合った方は数多く出来ました。05は僕だけには素敵な音をプレゼントしてはくれませんでしたが、それ以上に沢山の素敵な出来ごとをプレゼントしてくれたのでした。

普通のサラリーマンはその名前が世の中に知られる事はありません。現役で仕事をしている時でさえ自分の名前は会社の名前と肩書の下にちじこまっているのがせいぜいです。さまざまなオーデイオ機械を設計した石田さんでさえその名前が世に広く知られることはありませんでした。

それが会社を定年退職した後、自分で設計した作品でその名前を世の中に広く知らしめるようになったのですから、ほんとうに幸せな人生を送られた言ってよいでしょう。あまつさえそのアンプは良い音だけでなく、僕を初め沢山の人たちに楽しい出来ごとや繋がりをプレゼントしてくれたのです。05を持っていない番外者の僕ですが石田さんには感謝するばかりです。

すべからず定年を迎えた後にもこのような素敵な人生を送りたいものですが、特に才能があるわけでもない一般人である我々には望むべきもありません。

少しだけ早かったかも知れませんが、これだけ沢山の素晴らしい出来ごとや思い出を残してくれたのですから、石田さんは今でもどこかでにこにこと満足していることでしょう。そして石田さんが作った200台のアンプもいつまでもずっと素晴らしい音楽を奏で続けることだと思います。

心から石田さんのご冥福をお祈りいたします。

SEIBO
by SD05club | 2013-08-30 14:52 | 私のSD05
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